まず テレビというのは
情報をつねに ながし続けているので
その流し続けている情報を
見ることで 次は?次は?と
お膳立てをされる
状態になる
お膳立て されると
見てるものは どうなるかというと
自分から 動こうとしない
座ってるだけで
次から次と 情報が
流れてくる
すると 見ているものは
動かなくなる
次から次に 情報を 待つようになる
この時点で テレビの術中にはまる
テレビを見続けて
動こうとしなくなる
そして 自分で考えようとしなくなるので
動けなくなる
次に 見つづけて 情報に
あきてくると
どうなるか?
次は チャンネルをかえて
新しい情報をみようとする
この時点で なにが
おかしいかというと
テレビが
見ているものを
動けなくする
考えさせようとしない
テレビからの情報を 見続ける
おもしろいものを
どんどん 見ようとして
時間がどんどん 経過していく
自分の ことが
なにも できなくなる
たとえば
そうじ
そうじ しんどい テレビの
ほうがおもしろい
すると テレビを見続ける
勉強 たのしくない
すると テレビを見続ける
スケジュール管理や
これからの考え
考えようとしない
テレビを見続けようとする
テレビが与えてくれるもの
笑いや その時の みた面白さ
しかし
テレビの中では 事は進んでいるが
自分の事は何も かたづかない
進歩しない
流れるのは 無駄な時間だけ
自分の生きてる時間を浪費する
生きてるのに
自分の時間を 無駄遣いしている
テレビをみていると
時間だげが 無情に過ぎていく
テレビの中では
人が なにかに 一生懸命になって
その人の進歩はあるが
見てるものは
なにも進歩しない
自分は何も進歩しない
ただの傍観者
テレビを消す訓練をしたほうが
自分にとってよい
たとえば ルールをきめる
1時間だけしかみないと
これだけしか みないと 決めたり
小学校の時のポスターには
1日にテレビは何時間しか みては
だめのようなポスターが
はってあった
あれは まさしく
現在 大人になった自分の
生きる時間をつくれと
教えてくれている
寝る時間や 食事時間や
グラフで
ポスターになっていた
あれを 思い出したほうが
良い
検索で あの時の小学校の
ポスターは ひょっとしたら
あるかもしれない
重要なことは
案外 小学校の教えに
かなり 重要なことが
おしえられていたのかもしれない
テレビは
一時間までや
テレビには
人生を削るデメリットがある
自分のための勉強をしよう
スケジュールを 書こう
メモを書こう
やるべきことを 考えよう