toragakikiのブログ

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日本の学力の低下は集団で授業するためと考える

あくまでも

個人の考えとして

日本での 学力の低下は

集団で授業するため

と 考えられる

 

それは

 なぜかというと

悪いことを 先にいうと

まわりが うるさいと

集中できない

まわりの目があるので集中できない

まわりが あの人好きとかの

感情で集中できない

いじめ問題で 集中できない

先生が特殊で好きになれないから

集中できない

トイレに行くのに いちいち

みんなの目があるのと

言わないとトイレにいけない

一方的に 進められる

黒板のチョークじたいの

キーキー音が 嫌だ

学校が くさい

床のワックスの匂いなど

自分がいま やってる 勉強に興味が少ない

違うことを勉強したい

などなど

やはり

集中できないということが

大きい

なので

たとえば

いじめ問題など の問題あれば

こどもが

自由に通信教育に 変更します

などの意思が とおらない

たとえば

通信教育にしたら

一年間長めに教育を受けなければ

いけないなどの

変更が 可能な 体制にするとか

いじめ自体に 悩むこと自体が

本人にとって

しかつ問題で

あるので

そんな に 本人を苦しめているのであれば

通信教育へ

変更しますといって

家から

ネットなどで 勉強をうけるや

通信で 義務教育を

完了させる

システムを

つくれば

いじめ問題の 大々的な

助けになると

考えられるのと

やはり

その方が断然 絶対に集中できる

よって いじめ は シャットアウトできて

学力もあがる

集団で授業した場合

教室内では

先生の絶対的強制力が

はたらく

そのなかで

先生に 答えろのように

指名されたとして

そこで

間違えたとする

すると

それが トラウマとなる可能性が

ある

たとえば

通信で

家でひとり その問題に

間違えたとしても

なんども

やりかえせば

いいはなしで

授業中などで

答えをまちがえれば

さらされるし

一発勝負をせまられる

それで 一発勝負で まちがえると

それで 自分は そこで

負けたんだかのような

イメージが

焼き付く

 

しかし

それは 間違っているイメージなのだが

みんなの前で失敗 答えを

まちがうと

それで

そこでは

終了かのような

マイナスイメージを

そなえつけられる

一人で

答えを間違えたとしても

なんの 恥ずかしさも

失敗したイメージもない

あれ?

もう一回!

という 感じで なんども

やり直せる

もちろん 集団で受けることに

たいしての

メリットもあるのだが

個人的な考えでは

人との優劣を 決められる

マイナスな イメージで

学力を強制的に

やらされている感じが

雰囲気が

漂っている

しかし

もし

1人で

集中して

勉強していたとすると

勉強を 勉強しているとは

感じない

自分で わからないことを

解読していってる感じとなる

極端な 楽なイメージでは

ゲームの謎解きを

している

ドラクエをしている

ストリートファイター

ラウンドを

クリアしていってるという

感じで

1人で 何かを

進めていくときの

集中力

学力読解力は

集団で授業を受けている時よりも

はるかに 高いと

感じる

昨今のいじめ問題を

なくすには

義務教育での

通信教育へ

変更できる体制や

逃げ道を つくってあげる

逃げ道をつくってあげることで

学力に集中できる

環境ができる

いじめは

つねに 誰かを的にしようと

した

集団意識も関与しているので

そもそも

集団で なにかを

すると

子供時代の成長段階で

いじめっこだったものは

大きくなると

あのころ

あんなつまらないことをしたという

懺悔をする 

それならば

成長段階で そのような

ことが

おきるということは

子供時代に

そのようないじめ行為を

そらす

体制 システム

通信的な義務教育など

子供が

フリーエージェントせいのような

制度を つくって

心の底から 悩むようなことを

させる苦労をさせないことが

学力レベル

をあげることにも

つながると

個人的に 強く 考えている